超次元伝説ラル ラモー・ルーの淫宴



第8話 滅紫色の断罪者(パニッシャー)



 騎士団長アリッサが竜騎士と称される所以は巧みな槍捌きともう一つある。

 他の者の追従を許さない突進を生みだす身体能力に他ならない。

 極限にまで鍛え上げられた肉体は女性らしさを損なわず、それでいて力と俊敏さにおいて彼女に勝る者はいない。

 たとえ自慢の愛槍が手元になくても、槍代わりに用いた長剣であろうが驚異的な破壊力を誇る。

 地を蹴って低い体勢から相手との間合いを瞬時に詰め、両手それぞれに持った剣を突き上げる姿はさながら昇龍の如し。

 たとえアリッサを体格で上まわる黒騎兵であっても受けとめることはできない。

 防御の構えをとる間を与えず、胸を刺し貫いた巨躯がその衝撃によって仲間を道連れにしながら弾き飛ばされていく。

 巻き込まれた数人の黒騎兵は石の床に激しく叩きつけられてもはや立ち上がることすらできなかった。

 それを目の当たりにした他の黒騎兵たちは一瞬の出来事に何が起きたのか分からなかったのだろうか。

 誰もが棒立ちとなってしまい、着地の隙を狙うどころかひと睨みされただけで一斉にたじろぐ。

 再び低い姿勢に構えたアリッサに恐れ、戦意までも挫かれては間合いを詰めることもできない。

 一方のアリッサは圧倒的な強さをみせていても不満顔だ。

 自分の間合いで有利な戦い方をしていながら愚痴を溢す。



「こりゃ相当鈍っているな。いくら借り物の剣だからってこの程度とは我ながら情けない」



 二振りの剣をそれぞれ左右に握りながらの低い姿勢の構えを解くアリッサが一歩踏みだせば黒騎兵たちが覚束ない足どりで後退る。

 裸で剣を持つ赤毛の娘の歩みを誰もとめられない。



「おい、腰抜け共! さっさとまとめてかかってきやがれ!」



 挑発の叫びをあげるアリッサに対して戦意を消失した者が挑めるわけがなかった。

 ゆえにライケにとってこれほど頼もしい味方はいない。

 勝手知ったる竜の騎士団長は今も健在なのだから。

 使い慣れていない長剣、しかも黒騎兵たちが使っていた数打ちの大量生産された剣で圧倒してみせたのだ。

 本来の実力を十分に発揮できずとも、今のアリッサなら背中を預けることができる。

 しかし男勝りの直情的な性格はいい加減に治らないものかとも思った。

 啖呵を切って相手を挑発するのは今に始まったことではないが、アリッサは戦いそのものを楽しんでいるのではないだろうかと
 
 つい溜息を吐いてしまう。



「まったく、血気盛んは相変わらずか」



「なんだって!?」



「いや、何でもない」



「ふんっ、血気盛んで悪かったな」



 思わず出てしまった本音を聞かれてしまい、ばつが悪そうに黙るしかなかったライケとは対照的にアリッサは気にくわないと
 言わんばかりに渋面をつくった。

 それを見て魔術使いの少女が二人の背後から愉快そうに笑う。

 目を細めた視線を赤い髪を束ねたアリッサへと浴びせる姿は周囲の者からすれば悪意すら感じられた。

 当然ながらアリッサがその視線を感じて黙っていられるはずもない。

 振り返ると即座にリトラを睨んだ。



「なんだよ!」



「別に」



「言いたいことがあるならはっきり言いやがれ!」



「いいのですか?」



「だから言えって!」



「では、はっきりと申しましょう」



 意味ありげにしばらく言葉を溜めたリトラがアリッサの感情を逆撫でる暴言を吐く。



「貴女がそんなだからこれではお嫁のもらい手はいないだろうなってライケさんは思われているのです。わたしも同感ですことよ」



「なっ!」



 これを聞いたアリッサの顔面がたちまち真っ赤になった。

 片眉をヒクヒクと痙攣させ、言いたいことがあっても言葉が喉に詰まって何も言い返せない。



「ま、お嫁に行き遅れているのですから今さら態度をあらためても手遅れでしょうけど」



 やれやれと肩を竦めるリトラとは対照的に背後の侍女達の表情が凍てつく。

 竜の騎士団長の逆鱗に触れる暴言を聞いていられないと言いたげな様子だ。

 半ば巻き添えを喰らった感のあるライケもまた唖然として声がでない。

 ところが瑠璃色の髪をした少女の悪態は表情が真顔になってからも続く。

 その一方で無防備に背中を晒したアリッサの隙に乗じて襲い掛かろうとした黒騎兵に片手で放った魔力の衝撃波を浴びせた。

 吹き飛ばした黒騎兵に見向きもせず、怒り心頭のあまりに絶句したアリッサを見据えながらまくしたてる。



 「それなのにオバサマはまったくの自覚なしで相も変わらずの脳筋。お嫁にいけないのはどうでもいいですけど今の状況を
 
  よく考えてもらいたいですわね。

 ザコの相手をするだけなのにいったい何を面白がっているんですか。ホント、困った人ですこと。

 もういいですからオバサマはさがってください。時間を無駄にしたくありませんのであとの対処はわたしがします」



 言い終わらぬうちにリトラが横から前に出て先頭に立つ。

 その華奢な背中に鋭い眼光が突き刺さるも気に留める素振りがなく、完全に見下した態度だ。



「て、てめぇっ!」



 瞬く間に怒りの沸点に到達したアリッサであったが、顔面を真っ赤にさせていながら感情を言葉で上手く表現できない。

 これを振り返ったリトラが見るなり困り顔で溜息を吐いた。



「はあぁ、やれやれ。所詮、脳筋は脳筋。分かり易く言ってもカチカチの頭では理解できないようですわね。

 どうりでオバサマの騎士団が呆気なく壊滅したのも納得がいきます。こんなお馬鹿が指揮していたのですから作戦もなしにラモー・ルーと
 戦ったのでしょう」



 遠慮の欠片もないリトラの侮辱を果たしてアリッサが黙って聞いていられるのか。

 否――!

 両肩を羽交い締めにしてライケが取り抑えていなければ剣の切っ先をリトラに突き刺そうとしていたかもしれない。

 もはや言葉にならぬ意味不明の叫びをあげて殺気立っている。



「落ち着けアリッサ! 挑発に乗るんじゃない!」



「θορ?!(うるせぇ) Δεμ?νο?!(離しやがれ)」



 頭に血が上った状態のアリッサの狂乱ぶりには黒騎兵までが心底肝を冷やしているのだろう。

 血走った形相を向けられると逃げだす者までがいた。

 ところが竜の騎士団長の怒りを買った少女は恐れるどころか余計に呆れてしまう始末。

 まだ言い足りないとばかりに追いうちをかける。



「その結果が多くの犠牲を出してしまった。これでは無駄死にされた騎士団の方々には同情いたしますわ。

 ラルの国王はどうしてこんな脳無しを騎士団長に選ばれたのでしょうか。まったくもって理解に苦しみますわ」



「君もいい加減にしないか! どうしてアリッサをここまで侮辱する。何か恨みでもあるのか!?」



「恨みなんてこれっぽっちもありませんわ。ここに投獄されるまで面識すらなかったんですもの」



 素っ気ない返事はアリッサへの当てつけであるのは明白。

 最後に「ただ面白いだけですわ」と余計な一言を付け加えることで本音を明かした。











 ラモー・ルーの宮殿の中層部にて牢獄がある階層を覗き見る者が二人。

 異形な姿をした彼等のうち一人は大きな鏡の前にある椅子に座り、時折指を動かさなければ薄墨色の衣を覆う骸と見間違ってしまう姿。

 もう一人はその背後から鏡に映しだされている光景を見ている滅紫色の衣を纏う者。人とは呼べぬ硬い皮膚はまるで甲冑のようだ。

 虫の幼生が頭部の中央に埋め込まれたかのような容貌には口や鼻はない。

 そこだけは硬い皮膚とは違って柔軟性があり、呼吸する度に小さく収縮している。

 さながら怪人とおぼしきこの者こそライケ達の行く手を阻む張本人。

 そしてラモー・ルーが儀式を終えるまでの全権を預かる腹心とも呼べる存在でもあった。



「ラル王国第一衛士ライケ、よもや貴様が潜んでいたとは。

 牢まで破られるなんて事がラモー・ルー様に知られては叱責を受けるどころでは済まない。早急にヤツを討ち果たし、娘たちを牢に戻さねば

 俺の命が危うくなる。だがヤツの命運もここまでよ。他ならぬこのドロス自らが赴くのだからな」



 ドロスは腸が煮えくりかえる思いで「俺が戻るまでここは任せる」と一言残してこの場をあとにした。

 ところがこの場に残されたもう一人の異形の人物は立ち去る彼に見向きもしない。

 己の魔力を流し込む大きな鏡から決して目を逸らそうとしなかった。

 終始無言だった骸のような怪人が声を発したのはドロスの姿が見えなくなってからである。



「ドロスのヤツめ、自分の命が懸かっているのだから相当焦っているようだな。ま、どちらが勝とうが然したる問題にすらならん。

 ラモー・ルー様に刃向かえる力を持つものなどこの世にいないのだからな。精々頑張れよ」



 鏡を使っての遠見の術を扱う怪人が不気味な声で笑う。

 眼球がない双眸の先には鏡に映しだされる第一衛士の青年の姿があった。











 ライケの本来の目的は金髪の少女にリバースの剣に隠された秘密を伝えること。

 もしも余力が残されていたのならば加勢し、あわよくばユリアの奪還であった。

 その為には如何なる犠牲を出そうとも厭わない覚悟があり、己の生死すら星勘定に入っていなかった。

 ラモー・ルーがいる最上階へ通じる道を発見するために必要な女性だけを救出して他の者は見捨てる非情な決意は今も変わっていない。

 しかし解放した侍女達や続けて救いの手をさしのべた娘達の笑みを見る青年の心はどこか救われた気分であり、先を急ぎたい
 
 焦燥感の狭間で大きく揺れ動く。

 果たしてこれで良かったのだろうかと心の中で何度も自問自答したが、答えは簡単に出るものではなかった。

 良心の呵責に悩むからこそ深みにはまっていく。

 そんなライケの心情を察したかのように、瑠璃色の髪をした少女が優しい眼差しと微笑みを携えながら声をかけてくる。



「やっぱりライケさんは思ったとおりのお優しい殿方ですこと。わたしの直感に間違いはありませんでしたわ」



「その直感は誤りだ。私は君たちを見捨てようとしたのだぞ」



「ですが見捨てることができなかった。いえ、見捨てられなかったと言うべきでしょうか。違いますか?」



「それは結果として君を利用するためだ。ラモー・ルーがいる最上階へ通じる道を隔てる何かを取り払うためには女性の同行が必要らしい。

 でなければ今も闇に紛れて上を目指しているだろう」



「だったらどうしてわたしを連れて先を急がないのです? ライケさんならこれしきの邪魔は易々と突破できるでしょう」



 その問いにライケは答えられなかった。

 目の前で黒騎兵を圧倒するアリッサの戦いぶりを見守りつつ、まだ解放していない牢にも目をやった。

 あえてリトラと視線を合わさなかったのは心情の発露を嫌ったのだ。

 良心の呵責からだけではなく、本来の目的を見失わない為に。

 ここで思ったことを口にしてしまえば感情のまま行動しかねない。

 故に少女の瞳をまっすぐに見られなかった。

 だが魔術使いの少女はライケを見つめて言葉を紡ぐ。



「答えたくないのでしたらこれ以上は訊きません。

 とにかく今は余計なことをお考えならないように。ここで焦っては事をし損じてしまいます。

 おそらく黒騎兵以外にも障害となる者が行く手を阻んでくるでしょうから」



「分かっている」



「でしたら尚のこと姉との再会を手伝って頂く必要がありますわ。但し、姉を自由の身とするには少々手間がかかるかもしれませんが」



「捕らえられた人達はここの牢獄に閉じこめられているのではないのか?」



「最初は皆ここへ幽閉されます。ですがラモー・ルーには何か意図があるようで数人の人達はこの宮殿の何処かに移されているのです」



「つまり我が国の王女や君の姉さんもその中に含まれているというわけか」



 ラモー・ルーやその配下の者達によって捕らわれた女性が全員ここに集められていないことはユリアのことを考えれば納得がいく回答だ。

 リトラの姉がここにいなくても理由になる。

 これまでの話からして何か特別な力がある娘、あるいは高貴な身分であった場合のみ何らかの理由で別のところへ

 幽閉されているのではないかとライケは思った。

 であれば星詠みの巫女の力をラモー・ルーが利用しようとしてもおかしくはない。

 しかし瑠璃色の髪をした少女がひと呼吸を置いてから語る理由はライケの推測とはかけ離れたものだった。



「いえ、姉だけは違います。おそらくラモー・ルーは姉には手出しできないでしょう。そもそもこの宮殿内にいることすら知らないのですから」



「どういうことだ?」



「わたしが姉を封印したからです」



「封印!?」



「ええ、星詠みの力を守るための秘術によって。つまり姉をとある物の中に封じ込めたのです。ラモー・ルーに利用されないために。

 遙か昔、ラル王国が滅亡の危機に瀕した際にも星詠みの力によってリバースの剣は守られ、救国の英雄を導きました。

 そしてリバースの剣の穢れを浄化できる存在でもあります。唯一その力を代々受け継いでいるのが星詠みの巫女なのです」



「いったい君は何者なのだ!?」



「先程も申しましたでしょう。わたしは星詠みの巫女の妹であり、守護する者だと。そして今はライケさんのパートナーというべきでしょうか」



 悪戯っ子のような笑みがこれ以上の詮索を拒んでいるかのようにライケには思えた。

 おそらくここで素性を追求しても目の前の少女は答えてはくれないだろうと。

 だがラル王家とは深い関わりがある一族の者であることには間違いない。

 但し、リトラと名乗った少女が嘘を吐いていないのであればだが。



(ゴモロスの神殿はかつて王家に仕えていた神官が建てたと伝えられている。だったらあそこにあった水晶鏡は……もしや!)



 ふと思いあたることが脳裏に過ぎったライケであったが、あえて口にしなかった。

 先を急ぎたいのもあったが、この少女は嘘を吐いていないという確信めいたものを感じていたからだ。

 もしもリトラがラモー・ルー側の者ならばこんな回りくどい方法をしないだろう。

 そもそも何もメリットがないのだから欺いたところで無意味なのだ。

 現にリトラは幾人もの娘達の戒めを解き、今も魔術を行使して最後の牢から囚われの娘たちを解放している。

 慰めやねぎらいの言葉を語りかける姿に偽りはない。

 但し、味方としては心強くても、性格には問題があるようだ。

 多勢の黒騎兵を相手に獅子奮迅の活躍をみせる赤毛の竜騎士に嫌味を言うことだけは忘れていないらしい。

 娘達を先に牢から出して自分も鉄格子の外へ出ようとした時だ。

 アリッサの姿を見るなり優しい笑みが消えて呆れた表情へと一変させた。



「まったく! こんなザコ相手にいつまで時間を割くんですか」



「てめぇこそ牢からみんなを出してやるのに手間取っていたじゃねえか!」



「貴女がもたついていた所為で集中できなかったからです」



「人の所為にするんじゃねぇ!」



「事実を言っただけですわ」



 一度はライケが割って入っておさまった口論は二人の娘が互いに目を合わせることなく再び勃発した。

 もはや口論をとめる気にもなれないライケであったが、こんな調子では果たして無事に最上階へたどり着けるのだろうかと

 頭を抱えずにいられない。

 せめて自ら先頭にたって黒騎兵を相手にしている方が精神的に楽だと思えてならなかった。

 ところがアリッサがそれを認めてくれない。

 溜まった鬱憤をここで晴らさんとばかりにライケの加勢を嫌ったからだ。

 両手それぞれの長剣を短槍に見立て、立ち塞がる敵を次々に蹴散らしていく。

 己が裸であることを気にとめることもなく、派手に暴れるアリッサの豊かな乳房が大きく弾む。

 それに負けじとリトラが魔力で精製した氷の矢を黒騎兵に目がけて放つ。

 互いがこの期に及んで意地を張り合ってしまう状況が皮肉にも行く手を阻む黒い兵の数を瞬く間に減らしていく。

 アリッサが最後の黒騎兵を刺し貫いたのはすぐ後のことである。











 牢獄に囚われていたすべての娘を解放した後、一行はリトラの提案で二手に分かれた。

 上を目指すのはライケとリトラの二人。

 残りの者達はアリッサが引き連れて宮殿から脱出する為である。

 もちろんアリッサがこれを素直に承諾したわけでもなく、ライケの説得は困難を極めた。

 リバースの剣の秘密を知るライケと星詠みの巫女を封印から解き放つことができるリトラを除けば、娘達を無事に脱出させる役目を
 担える者が他にいないと説き伏せるのに時間を費やしたのは言うまでもない。

 ただアリッサの実力は十分に分かっているライケではあったが一抹の不安は残った。

 果たして大勢の娘達を全員無事に脱出させられるのかと。

 如何に一騎当千の猛者であっても、娘達を守りながら多勢を相手しなければならない状況ともなれば犠牲者を出さずに済むとは

 到底考えられないからだ。

 戦闘ばかりに意識をとられていれば隙をつかれて人質を取られることも考えられるだろう。

 敵に対して容赦ない赤毛の竜騎士といえども無抵抗の娘を見捨てるような非情さは持ち合わせていない。

 最悪の場合は人質を盾にされた挙げ句、アリッサを含む全員が再び囚われの身になってしまうか、あるいは犠牲になってしまう恐れがある。

 その不安がライケの足を鈍らせても当の本人はまったく気がついていない。

 体力で劣るリトラが息を切らすことなく余裕をもって喋りながら走れるほどに遅くなっている。



「アリッサなら黒騎兵を相手におくれを取ることはないと思うがこれで良かったのだろうか。一人でも多く無事に脱出できればいいのだが」



「大丈夫ですよ。オバサマだけでは確かに不安ですが導き手はもう一人いますから全員無事に脱出できるでしょう」



「――!?」



「武術に長け、僅かながらも魔術を扱える者がいますので」



「そんな子があの中にいたのか?」



「ええ、いますとも。ライケさんも少しばかりその彼女とお話をしているそうですので面識がある筈ですわ」



 ライケがこの宮殿に忍び込んでからまともな会話をした女性は限られている。

 その中で武術に心得がある女性はアリッサぐらいだが他に思い当たる女性はいない。

 だがリトラとの会話の中で一人の娘の姿が脳裏に浮かんだ。

 一見して年齢は20歳前後ぐらいだろうか。

 最初に開けた牢の中にいたその娘は名前すらも知らない。

 ほんの僅か言葉を交わした後、再会の折にあらためて名前を尋ねると約束した時の印象からして武術とは縁遠い穏やかな感じだった。



「まさかあの子が!?」



「ええ、そのまさかです。現にわたしが牢を開けてからというもの、ライケさんは彼女の姿を見失ったのでありませんか?」



 リトラに問われるまでもなくライケは再会を約束した娘の姿を追った。

 しかし枷から解放した直後に娘たちが一斉に牢から出てきたこともあって姿を見失ってからは一度も見ていない。

 騒がしい状況では大勢の娘たちに紛れては仕方ないとライケは思っていたのだが実際は違っていたのだ。



「君の言う通りあの子の姿を見失ってしまったよ」



「まさに隠れるなら何とやらです。さすがのライケさんでも気配を完全に断ち切った彼女を探し出せなかったみたいですわね」



「ああ、見事だ。それにしてもどうしてあの子と面識があることを君は知っていたのだ?」



「ライケさんがわたし達の牢に向かっているときに彼女が魔術で念を送ってきてくれたのです。それと枷を解いたときに少しばかり会話を」



 魔術で自分の意思を離れた相手に伝えるなど果たして易々とできるものだろうか。

 それ以上に気配を断ち切ってみせた名も知らぬ娘の業(わざ)は神業の域にまで達している。

 ラルの国だけでなく他国にそのような力量を持つ者がいれば噂となり、名前だけでも知っていよう。

 目の前の少女にしても優れた魔道士であり、一時的にとはいえラモー・ルーの域にまで魔力を高めた。

 おそらくは想像以上の魔力を秘めているのだろう。

 ライケが知る人物の中にリトラと真っ向から競い合える魔術使いはいない。

 そしてごく普通の娘だと思っていた娘の気配を感じられなかったことにしても悔しさを噛みしめるどころか、

 むしろ末恐ろしさを覚えずにいられなかった。



「わたしが表だって姉を守護する者とすれば彼女は影から守る者。姉をつれてラモー・ルーの魔の手から逃げ切れないと悟った時から
 このような好機を密かに待っていました」



「つまりいつでも牢を破ることは出来たってことか?」



「ええ、ただラモー・ルーの魔力に察知されては意味がありません。その為に如何なる恥辱にも耐えてきました。

 もっともリバースの剣の所有者が敗北したのは想定外のことでしたが」



「とは言っても君のことだ。万が一のことも考えていたのだろう」



 出会って間もないとはいえ、リトラという少女は魔術だけでなく戦略にも才があるのかもしれないとライケは思った。

 これまでの言葉の端々からして、状況に応じて策を講じられる力量と自身の感情に流されない精神力は目を見張るものがある。

 これから星詠みの巫女を封印から解き放とうとすることにしてもライケはリトラの才の一端を垣間見たような気がしてならなかった。



「もちろんですわ。だからこそ姉の封印を解く必要があるのです。

 とにかく無駄話はここまでにして先を急ぎましょう。四つの月が沈んでしまったら打つ手がなくなってしまいます。

 ですが心配には及びません。女の子達を無事に脱出させたら彼女も駆けつけてきますので必ず間に合いますわ」



「アリッサもな」



「あんなのが来ても騒がしくなるだけです。無駄な戦いが増えて間に合わなくなってしまいますわ」



 赤毛の騎士団長の名を聞くなり不機嫌そうにツンと顔を背けるリトラの態度にライケは思わず頭を抱えたくなった。

 この余計な一言が多い性格はどうにかならないものかと。











 かつて英雄気取りでこの宮殿に挑んだ愚か者はいったい何人いたのだろうか。

 恋人や肉親の救出を目論んで侵入してきた男達の嘆きを何度となく聞いたことだろう。

 滅紫色の衣を纏う怪人にとって侵入者の始末は面倒事でしかなかった。

 この星で名を馳せた戦士の多くは脆弱で、たとえ徒党を組んで挑まれても実力を存分に発揮するまでもなく討ち果たした。

 ところがこの者にとって力なき者を甚振ることが愉悦でしかなかった。

 ひと思いに命を絶たず、じわじわと嬲り殺すことで己の威を誇張した。

 時には黒騎兵たちに残酷な処刑を命じたこともあるこの者には人らしい感情はない。

 たとえ女子供が相手でも容赦なく、己の愉悦だけを満たすことしか眼中になかった。

 醜い姿同様に歪んだ性格をしたこの者の名はドロス。

 主であるラモー・ルーでさえこの者の残忍さに手を焼いたことは少なくない。

 数日前の王女ユリアへの尋問を任された時もそうだ。

 リバースの剣の在処を吐かせるべく、ドロスはユリアを全裸のまま鞭打ちの刑に処した。

 それだけに飽きたらず、鞭の柄で乳肉や秘所を抉って悶絶させたのである。

 濡れてもいない蜜園にねじ込まれる痛みはどれ程のものだったのだろうか。

 鞭の柄を乳房に押しつけられ、捻りを加えられては悲鳴をあげずにいられなかったことだろう。

 両手を鎖で吊された王女が痛みを堪えようとする姿をドロスは笑い飛ばし、主の許しもなく犯した。

 拷問に処して飽き足らず、己の欲望の捌け口にしたのである。

 ユリアがそれでも口を割らないと思いきや、今度は鞭の柄を肛門へとねじ込んで更なる苦痛と恥辱を与えた。

 激痛に耐えかねて意識を失った王女に対して鞭を振るうドロスを黒騎兵たちが止められる筈もなかった。

 鞭打ちの痛みで再び目を覚ましたユリアが拷問から解放されたのは四半刻ほど経ってからである。

 居合わせた一人の黒騎兵が見かねてラモー・ルーを呼んだのだ。

 結果としてドロスは厳しい叱責を受け、ユリアへの尋問はラモー・ルー自らが行うことになった。

 魔力で意思の自由を奪っての詰問でユリアがリバースの剣の在処を知らないことが判明したのは後のことであり、

 ドロスは事の経緯について一切の興味を示さなかった。

 この者に誇りや挟持というものがない。

 主に心服する感情もなければ共に覇道を歩むつもりもない。

 己の力を誇示することで弱者を甚振ることにしか興味を示さなかった。

 対等に戦える者が真っ向勝負を挑んでも罠に陥れ、あるいはだまし討つ卑怯な戦法を用いても恥じ入ることすらなかった。

 故にラルの国第一衛士という強者と戦うことに喜びや誉れはない。

 己が無傷で勝利を得ることしか眼中にない。

 そしてなによりも主からの不興を被ることだけはもっとも避けたい事態なのである。



「まさか二手に分かれるとはな。

 ライケめ、面倒な手間をかけさせやがって。一緒にいる女共々じわじわと甚振りぬいやる」



 宮殿の中央部にある大きな通路にはドロスの殺気が満ちあふれていた。

 松明の灯りが左右の壁にまで届かない闇には隠しきれていない幾つもの気配が標的の到着を待ちわびている。



「貴様を剣士として殺さん。女の目の前でのたうち、苦しみながらの無様な死を与えてやろう」



 潜ませた黒い伏兵たちが合図一つで敵に弓矢を放つか、あるいは襲い掛かることだろう。

 だが黒騎兵たちにライケを討たせるつもりは一切なく、致命の一撃は自らが与えると決めていた。

 ドロスにとって一騎打ちを装う待ち伏せは必勝の布陣であり、万に一つも討ち損ねることはないという確信めいたものがある。

 ラモー・ルーが儀式を終えるまでに事態の収拾をつけられる絶対の自信があるからこその余裕だった。



「それに逃げた女共を牢に戻せば一人ぐらいどうなろうとラモー・ルー様とてお気になされない筈。

 フハハハハハッ! 久しぶりに面白い見世物が見られそうだ」



 滅紫色の衣を纏う怪人の狂喜じみた笑い声が辺りにまで響き、その背後で不気味に蠢く影が広がりだす。

 時を同じくして広い通路の奥から階段を駆け上がってくる二つの足音が聞こえてきた。